アントン・ウェーベルンの音楽...
というと、頭から「現代音楽」と嫌う人がいます。
昔読んだ故・岩城宏之さんの著作だったと思うのですが、
オーケストラがウェーベルンの楽曲を練習している時に、
一つ一つの音を出しては「ピーツーポン」だと笑い出していた、
てな話があったと覚えています。
確かに、
シェーンベルク以降で、
最も過激に西洋クラシック音楽を解体した人ではありました。
ウェーベルンの最も現代音楽らしい音楽を聞くと、
現代の作曲家の作品が、
どれも生ぬるく聞こえてしまうほど先鋭的な作品もあります。
もっとも、通常のクラシック音楽に使われる楽器で演奏される楽曲ばかりの話ですが。
でも、
ウェーベルンの作品番号なしの初期作品は、
シューベルトやシューマンの後裔を彷彿とさせる作品があります。
「作品番号なし」ということは、
ウェーベルンは自作としては認めていなかったのでしょうか?
でも、
今回取り上げる1905年に作曲された
「弦楽四重奏のための緩やかな楽章」や、
「夏風の中で」という管弦楽曲は、
センチメンタルで甘い情感が支配する佳曲です。
特に「弦楽四重奏のための緩やかな楽章」は、
まだ若かったであろうウェーベルンが、
なぜこれほど悲しみや怒りを楽曲の中に昇華し、
聞き手が慰撫されるまでの美しい楽曲を作曲できたのか、
奇跡的でもあります。
「弦楽四重奏のための緩やかな楽章」は、
それほど多くの録音に恵まれていません。
でも、古くはイタリア弦楽四重奏団の、
決定盤ともいえる素敵な録音があり、非常に重宝しています。
「弦楽四重奏のための緩やかな楽章」と、
やはり1905年に作曲された作品番号なしの弦楽四重奏曲は、
比較的伝統的な作曲技法で書かれた音楽で、
後期ロマン派の音楽を聞かれる方には違和感は少ないと思います。
その後に収録されている「弦楽四重奏のための5つの小品」から、
作品番号が付き、
無調性の音楽からセリー(十ニ音技法)の音楽へと変化してゆきます。
「弦楽四重奏のためのバガテル」、弦楽四重奏曲 Op.28など、
各楽章は短いながら凝縮した先鋭的な作品です。
ウェーベルンの後期の作風から、
その全てをお勧めするわけではありませんが、
短いながら「弦楽四重奏のための緩やかな楽章」は、
これ1曲のためにLPやCDを購入する価値が大いにあります。
特に、
リヒャルト・シュトラウス「メタモルフォーゼン」などを聞かれる方には、
宝物的な楽曲になること請け合いです。