冨田勲さんが亡くなりました。
店長の子供時代は日本初のカラーアニメ「ジャングル大帝」の音楽や、
NHK「新日本紀行」の音楽でお馴染みで、
1970年代の初めから、
シンセサイザーによるクラシック音楽の再構成で、
大きな影響を受けました。
その他、さまざまなテレビドラマやドキュメンタリーの音楽、
映画音楽も作曲してこられましたので、
どなたでも1度はどこかで聞いたことがある...
といっても過言ではないのではないでしょうか。
山田洋次監督の映画音楽も、
冨田勲さんは数多く手がけています。
「ジャングル大帝」が放映されたころ、
カラー作品なのに家にはモノクロテレビしかなく、
ご近所のカラーテレビのあるお宅に伺って、
「ジャングル大帝」を見せてもらったことがありました。
その冒頭、ジャングルを俯瞰するような映像と、
雄大で心が癒されるような音楽に、
陶然とする思いでした。
NHK大河ドラマの最初「花の生涯」も音楽は冨田勲さんでしたが、
店長はまだ子供で見ていませんでした。
石坂浩二さんが上杉謙信を演じた「天と地と」も冨田勲さんが音楽を担当され、
これは毎週見ていて、とても好きだった記憶があります。
長じて学生の頃から、
店長もシンセサイザーを触るようになり、
冨田勲さんには大きく影響されました。
エコーマシン、フェイズシフターなどのイクイップメントの重要性、
シンセサイザー(当時は単音楽器でした)と、
ストリングス・アンサンブルは必須であることなど、
冨田さんのアルバムに書いてある使用機材のクレジットを見ては、
ため息をついたものです。
ムーグ3Pなんて高価なシンセサイザーは買えないし、
小型のミニムーグでも貧乏学生には手が出ませんでした。
それに、一番重要なのは、
マルチトラックのテープレコーダーでした。
16チャンネルのテープレコーダーなんて、
それこそ宝くじでも当たらない限り買えないし、
まだ、4チャンネル・マルチカセットレコーダーが出る前ですので(TEAC 144)、
テープデッキ2台でピンポン録音していましたっけ。
安いシンセサイザーとポリフォニックアンサンブルを、
アルバイトで貯めては買い、
デモテープをせっせと作っていた懐かしい青春時代です。
残念ながら店長には好きなだけで才能がありませんでしたが、
冨田勲さんの作っている音楽とは全く異なるものの、
やはり冨田勲さんは店長にとって”神様”でした。
ドビュッシー/「月の光」は、
画期的なアルバムでした。
シンセサイザーを全面的に使用した最初のアルバムは、
ワルター・カーロス(後に性転換をしてウェンディ・カーロス)の
「スウィッチト・オン・バッハ」が最初です。
ロックグループでは、
イギリスのエマーソン・レイク・アンド・パーマーの、
「ラッキー・マン」が最初だったでしょうか。
冨田勲さんの「月の光」は、
シンセサイザーの可能性をさらに押し広げました。
その前後、イギリスのアーティストや、
ドイツのタンジェリン・ドリームが
シンセサイザーを全面的に使用したアルバムを次々とリリース、
ピンク・フロイド「ザ・ダークサイド・オブ・ザ・ムーン」、
クラフトワーク「アウトバーン」、
シナジーの一連のアルバム、
そして日本のYMOなどが次々とヒットを飛ばし、
シンセサイザーは現代のミュージックシーンになくてはならない楽器になりました。
「アラビアのロレンス」「ドクトル・ジバゴ」などの映画音楽で有名な
モーリス・ジャールの息子、
ジャン・ミッシェル・ジャールも
優れたシンセサイザー・アルバムをリリースしていました。
その他にもアラン・パーソンズなど数多くの優れたアーティストがいましたが、
忘れてしまった人もかなりあります(^^;。
店長にとって、
冨田勲さんのアルバムは、
それこそすべて”神様”の作り出した音楽ですから、
ドイツ系の音楽は不得意だったな、と思いつつ、
どれも大好きな録音ばかりです。
冨田勲さんの数多くのアルバムの中から一つを選べ!
と言われたら、躊躇なくラヴェル/
「ダフニスとクロエ」第2組曲、
「なき王女のためのパヴァーヌ」
「ボレロ」
「マ・メール・ロワ」
の入ったアルバムを挙げます。
ああ、でもドビュッシーも
プロコフィエフの魅力に気付かされた
「バミューダ・トライアングル」と題されたアルバムも、
「宇宙幻想」に入っているオネゲル/「パシフィック231」も、
どれもこれも素晴らしいものばかりです。
そして、長く影響されたNHK「新日本紀行」や
「蒼き狼の伝説」の音楽!
店長はどれほど冨田勲さんに憧れ、影響されたのか、
その全貌が自分でもつかめないほどです。