ベートーヴェンの第30番から第32番の
後期ピアノソナタを初めて聞いたのは、
バックハウスでもケンプでもなく、
グレン・グールドのLPからでした。
それまでのベートーヴェンのピアノソナタを聴いてきた耳には、
特にグールドによる第30番は非常に新鮮で、
「ベートーヴェンじゃないみたい」と思ったのも確かです。
以来、
グールドだけではなく数多くの演奏録音を聞いてきました。
その中で一番驚き、
またマイ・フェヴァリッツになったのは、
フランスのワンポイントステレオ録音で有名だったシャルランというレーベルに
エリック・ハイドシェックが録音した、
第28番、第30番から第32番の2枚のLP(CD)でした。
ハイドシェックはその他にも、
EMIにベートーヴェン/ピアノソナタ全集を、
そして日本の宇和島で録音したライヴ盤があります。
でも、店長はシャルラン盤の、
あちこちで肩透かしを食らうような演奏録音のとりこになりました。
田部京子さんのベートーヴェン/後期ピアノソナタ集という、
新しい録音に接したのはつい最近です。
田部京子さんは吉松隆の作品や北欧系作曲家のアルバムなど、
いろいろと素晴らしい録音を残していて、
好きなピアニストのひとりです。
その他、シューベルトやメンデルスゾーンも素敵ですね。
でも、最初は田部京子さんによる
新譜のベートーヴェンを購入する予定はなかったのですが、
たまたま入ったCDショップでほんの少し試聴して、
一発で気に入り、購入してしまいました。
なんというか、田部さんにしかできないと思えるベートーヴェンで、
しかも、かなりのスケールアップを感じさせてくれます。
往年の大ピアニストの同曲集に比較すると、
ベートーヴェンらしくないベートーヴェンなのですが、
一つ一つの音が優しく、それでも確固とした意志で演奏され、
しかも曲想によってはスケールがひじょうに大きく、
田部さんの楽曲に対する愛情がにじみ出てきます。
ハイドシェックのシャルラン盤のような、
聞き手をひとつひとつ裏切りながら、
それでもなおかつ納得させてしまう、
「若き日の天才の演奏」ではありませんが、
非常にいい意味で、
ベートーヴェンのステレオタイプから抜け出た、
それでもなおかつ「これもベートーヴェン」といえる、
非常に優れた演奏といえるかもしれません。
田部京子さんは、
2004年に「ピアニシモ」という非常に素敵なアルバムをリリースしています。
そのとき感じたのは、
女性の柔らかで甘やかな胸のイメージでした。
このベートーヴェンでも、
緩やかな楽章ではそのイメージを残しています。
でも、全体的には非常にスケールアップしており、
普遍性を獲得しているといっても過言ではないと思います。
ベートーヴェンの後期ピアノソナタというと、
晦渋ではないか?とイメージされる方もおられるかも知れませんが、
このアルバムは一押しです。