店長のドヴォ7病はだいぶ進行していますが、
最近、カルロ・マリア・ジュリーニ指揮
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏録音を入手しました。
1993年のセッション録音です。
ジュリーニに関して、
店長は最初の頃、オペラ指揮者だと認識していました。
EMIへの夥しいほどのさまざまな演奏録音は知っていましたが、
イタリア出身の指揮者であること、
また、レーザーディスク全盛の時代、
コヴェントガーデンでのヴェルディ「ファルスタッフ」を映像で視て、
シンフォニー指揮者というよりオペラ指揮者というイメージを強く持った、
ということがあります。
シンフォニー指揮者として、
EMIのフィルハーモニア管弦楽団との数々の録音よりも、
ロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団を指揮し、
「ファルスタッフ」の映像と年代的に前後しますが、
あれこれLPが出て、それを集めて聞きだした頃からでした。
シューベルト/「ザ・グレート」やベートーヴェン/「運命」など、
当時のジュリーニの透徹した白磁器のような音楽は、
少し退屈ながら、どこか非常に高貴な音楽を聞いている、
という印象がありました。
ジュリーニは1998年に惜しくも引退、2005年に亡くなりました。
ジュリーニのドヴォルザーク/交響曲第7番は、
一聴、ドヴォルザークには聞こえません。
とてもゆったりとしたテンポで、
チェコの民族性よりも、
よりグローバルで深い音楽になっています。
どこか、夢見るような音楽でもあります。
特に第1楽章、第2楽章の終結部は尾を引くように終わり、
今までドヴォ7でこのような各楽章の終結部は聞いたことがありませんでした。
単にテンポが遅いだけではなく、
そこに込められたジュリーニの同曲への愛情が、
最初から最後までじわーっと感じられる演奏録音になっています。
縦割りがビシッと決まった音楽が好きなひとは、
「なんだか緩いなぁ」と感じると思いますが、
ここで聞けるドヴォ7を傾聴すると、
表面上、ジュリーニの白磁器を思わせる響きとともに、
年寄りの繰言のように遅くなったテンポは、
実はそれだけで滋味豊かなだけではなく
見事な造形美をもった音楽になっていて、
その深い世界にズブズブとはまり込んでしまいそうです。
店長は、
ハンス・クナッパーツブッシュや
オットー・クレンペラーの演奏録音が好きなため、
「遅いテンポの演奏録音が好きなのだろう」
と誤解されることがありますが、
実はそうではなく、
「遅ければよい」とは考えていません。
むしろ、テンポの遅い演奏録音が苦手だったりします。
クナッパーツブッシュやクレンペラー晩年の録音のテンポの遅さは、
長く生きてきた指揮者の愛情とお説教の賜物だと思っています。
クナッパーツブッシュもクレンペラーも、
若い頃は楽曲によって、
むしろきびきびしたリアリスティックなテンポでした。
ジェームズ・レヴァインの若い頃の演奏録音に、
非常にテンポの遅い演奏録音がありますが、
レヴァインは誰の真似でもなく、
そのテンポの遅さに自身に責任を持っています。
テンポを遅くするということは、
それだけ指揮者の覚悟が必要で、
その演奏の結果に責任を持たなければならないということです。
テンポが遅くなるとムードに寄りかかってしまい、
オーケストラのアンサンブルが乱れがちになり、
音楽の造形があやふやになることが多いからです。
ジュリーニには、
EMI時代の録音を聞くと、
キビキビしたテンポの演奏録音が数多くあります。
ジュリーニ1993年のドヴォ7の録音は、
そのジュリーニの噛んで含めるようなテンポで、
しかも、見事な造形美を持った見本のような演奏録音です。