J.S.バッハ/「ロ短調ミサ曲」は、
ひとつの目的のために全曲が作曲されたわけではなく、
さまざまな時期に作曲されたものの集大成のようです。
全部聞こうと思うと、
演奏するほうも大変ですが、
かなり長いので聞く方も大変です。
オペラも長いですが、
「ロ短調ミサ曲」は宗教曲ですしね。
最初の「キリエ」は衝撃的です。
店長は「ロ短調ミサ曲」をアンプのボリューム位置を間違えて、
とんでもなく大きな音で聴いたことがありますが
(むろん、すぐにボリュームを絞りましたが)、
その圧倒的な力感のある合唱に、
どこかに連れ去られるような恐怖感を持ちました。
その時の体験がトラウマとなって、
長い間、
リフキン盤を聞くまで、
なんだか「聞くのが怖い」楽曲のひとつになってしまっていました。
やはり、最初はカール・リヒター指揮のARCHIV盤から聞きました。
国内盤LPでARCHIV盤が出た最初の頃、
その音のよさと、ジャケットの学究的なライナーノートに、
大きな権威を感じながら恭しく聞いたものです。
リヒター盤も素晴らしいですが、
「ロ短調ミサ曲」の聞き比べをやっているときに、
大きなショックを受けたのが、オットー・クレンペラー盤でした。
同じバッハの「マタイ受難曲」の演奏録音でもそうなのですが、
クレンペラーの指揮者としての技量と、
演奏にもたらされるスケールの大きさに、
ただただ圧倒されるばかりでした。
クレンペラーは独特の辛辣な言葉を残していますが、
その中に「自分のレコードはほとんど聞かない」という言葉がありました。
ところが、クレンペラーは「ロ短調ミサ曲」の「キリエ」は、
生涯最高の演奏録音と自画自賛していて、
これは自分でもよくレコードプレーヤーに載せたそうです。
確かに最初から最後まで恐ろしいほどに充実した演奏録音で、
しかもクレンペラーは来るべき古楽器での、
ノンビブラート奏法も視野に入れていたようです。
むろん、かなりロマンティックな時代の演奏様式を引きずってはいますが、
古楽器での演奏録音をいろいろ聞くと、
クレンペラーは晩年にいたっても、
新しさを求めていたのではないかと感じています。
また、現代の古楽器奏法がバッハの演奏から
失ってしまった非常に大きなものを聞くことができます。
おそらく、バッハ/「ロ短調ミサ曲」では
第一に指を折らなければならない演奏録音だと思います。
現代の演奏は、
ジョシュア・リフキンから始まりました。
合唱を一声部ひとり、各楽器も弦楽に例外はありますが、
やはりひとりにしぼり、
各声部がクリアに聞こえ、楽曲そのものも清浄に聞こえる…
という革命を成し遂げました。
その後、各声部ひとりという演奏録音が増え、
今では大合唱の演奏録音より、
リフキン流の演奏録音が主流ではないか、
という観すらあります。
リフキン盤は出た当初(今でもか)賛否両論がありましたが、
店長はリフキン盤が好きで、
大合唱で聞くときはクレンペラー盤、
すこし異なる雰囲気で聞きたいときはリフキン盤と聞き分けています。
リフキンの演奏方法は他の演奏録音でも聞くことができますが、
なぜか、一声部ひとりの演奏録音や少人数の演奏録音では、
リフキン盤に戻ってしまいます。
演奏内容がまったく異なりますので、
クレンペラー盤、リフキン盤の両方を持っていても損はないと思います。
どちらも基本的な演奏録音であると言えます。