ワーグナー/「トリスタンとイゾルデ」は、
今聞いても、かなり危険なオペラです。
その豊饒な響きやストーリーに、
惑溺してしまうようなところがあります。
「トリスタンとイゾルデ」は
ケルト神話を源流とした物語を翻案したオペラで、
やはり悲劇です。
「ニーベルングの指環」4部作の作曲途中に、
ワーグナーが手元不如意になり、
ブラジル皇帝の依頼で作曲が始められました。
ところがワーグナーの作品の常として完成が遅れ、
最初は少人数オペラの軽い作品となるはずが、
大規模な作品になってしまいました。
また半音階を駆使した「トリスタン和声」と呼ばれる作曲技法は革新的で、
現代音楽の基礎を作ったといわれています。
「トリスタンとイゾルデ」には、
第一幕への前奏曲とオペラ終幕の「愛の死」の録音が夥しくあります。
第一幕への前奏曲と「愛の死」の圧倒的な演奏録音は、
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィル、
そして希代のワーグナー歌手といわれたビルギッド・ニルソンによる、
1959年のDECCAステレオ録音です。
同じメンバーで、1962年ウィーン芸術週間の映像も残っています。
モノクロでモノラルですが、素晴らしい記録です。
全曲盤ではどれだろう?
と思って、
以前、無謀にも「トリスタンとイゾルデ」の聞き比べをやったことがあります。
クナッパーツブッシュにも1950年のライヴ録音が残っていますが、
録音のせいもあるのか、
クナッパーツブッシュらしいスケールの大きさは少し後退しています。
その他、古くはカール・エルメンドルフや
フリッツ・ライナーのメトロポリタン歌劇場盤を起点として、
現代のバレンボイムに至るまで、
いったい何種類聞いたのか忘れてしまいました。
そのときの聞き比べで最もよかったのが、
カルロス・クライバー指揮のドイツ・グラモフォン盤と、
ウィルヘルム・フィルトヴェングラー指揮のEMI盤でした。
特にフルトヴェングラー盤はモノラルながら、
ほぼ理想的ともいえる「トリスタンとイゾルデ」を残してくれました。
フルトヴェングラーによる「トリスタンとイゾルデ」で、
イゾルデを歌っているのは稀代のワーグナー歌手、
キルステン・フラグスタートです。
ただ、フラグスタートは最盛期を過ぎていたため最高音が出ず、
EMIのプロデューサー、ウォルター・レッグの細君で、
これまた著名なソプラノ歌手エリーザベト・シュヴァルツコップが
代わりに最高音を出していると
レッグとシュヴァルツコップの著作で暴露されました。
でも、それでこの録音の価値が減ずるものではありません。
やはり、今まで録音された「トリスタンとイゾルデ」の演奏録音の中では、
最高に素晴らしいもののひとつです。
フルトヴェングラーによるワーグナーのオペラ全曲録音は、
録音状態や演奏内容を含めて、その全てがよいわけではありませんが、
「トリスタンとイゾルデ」は素晴らしいです。
ステレオかモノラルか、デジタル録音かアナログ録音か、
という議論がむなしくなるほどです。
これから秋の夜長、
ワーグナーの危険な大人の愛の世界に、
どっぷりと浸かってみる、
というのも悪くないですね。
特に第2幕の危なさは、全曲を聞かないでは分からないです。